複数の部署を兼務しているおじさんへ。それ、勲章じゃなくて組織の怠慢だよ
ボク、深海で複数の海流をまたいで泳いでいるクジラを見たことがあるよ。すごく忙しそうだった。でも、どの海流の仲間にも「完全に属している」とは言えなかったんだ。
— SCENE 01 —
「気づいたらそうなっていた」——それ、あなたのせいじゃないよ
ボク、最近オフィスのおじさんを観察してたんだけどね。月曜日はAチームの候補者スクリーニング。火曜日はBチームのコンテンツレビュー。水曜日はCチームの施策議論。木曜日はDチームの定例。そして金曜日——本当は頭を整理する日にしたかったのに、複数チーム分の積み残しとメッセージ返信で埋まってる。
「誰かがそう決めた」わけじゃないよね。「気づいたらそうなっていた」んだよ。最初のひとつ目の兼務は「例外的なお願い」として始まった。例外は実績となり、「あの人はこれもできる」という解釈が形成された。その解釈が次の割り当ての正当化根拠になって、個人の同意なしに役割が積み重なっていった。
おじさんはこれを「組織から信頼されている証拠」だと思ってるよね。上司にも「それだけ頼りにされてるんだよ」って言われてるよね。でも、組織設計の怠慢を個人が肩代わりしている状態だったとしたら——おじさんはどうする?
「ねえおじさん、最初に兼務を引き受けたとき、誰かに『この後どうなるか』説明してもらった? ボクは聞いてないと思うんだよね」
— ホエール坊や、廊下でそっとつぶやく —
— SCENE 02 —
ねえ、なんで「優秀な人」だけが損するの?
ここが、ボクが一番「変だな」と思うところなんだ。大規模な知識集約型組織で1,875人を5年間追いかけた研究(van de Brake et al., 2018)があってね。そこに面白い非対称性があるんだよ。
複数チームを掛け持ちしている人ほど、平均業績は高い。これは本当のこと。でもね、同じ人の掛け持ち数が増えると、翌年の業績評価は下がる。これも本当のこと。
つまりこういうことだよ。組織は「業績の高い人」を複数チームに割り当てる→ それによってその人の業績を下げる → また別の「業績が高い人」に次の兼務を割り当てる。これ、優秀な人が掛け持ちに選ばれて、掛け持ちで優秀でなくなっていくサイクルだよ。ボクには「組織がわざわざ自分の資産を劣化させている」ように見えるんだけど、おじさんはどう思う?
「複数チームを渡り歩くメンバーはどのチームでも『完全な内部人』として認識されず、精神的な所属感の受け取り手としては周辺に置かれる」
— Rishani et al., 2024 —
どのチームでも「完全な内部人」じゃないから、心の拠り所になるチームがどこにもない。業務量は増えているのに、精神的なサポートを受け取る場所が減っていく——これも構造が作り出してることだよ。
「ボク、全部の海でちょっとずつ泳ぐより、ひとつの海で思いっきり泳ぎたいな。でも誰も『どこが君の海?』って聞いてくれないんだよね」
— ホエール坊や、いくつもの海流の真ん中で立ち往生しながら —
— SCENE 03 —
「どのチームの自分が本当の自分?」——それ、認知の摩耗だよ
「やりきれない感覚」って、能力や意欲の問題じゃないんだよ。チームを切り替えるたびに、人間は文脈・関係性・優先順位・判断基準を全部リセットして再起動する必要があるんだ。これが複数チーム分、毎週発生してる。
Mistry et al.(2023)の研究によると、掛け持ち数が多いほど「アイデンティティ・ストレイン」が高まるんだって。ボクなりに訳すと、「どのチームの自分が本当の自分かわからなくなる状態」。各チームはそれぞれ暗黙の期待・価値観・行動様式を持ってる。おじさんはその都度「このチームにおける自分」を新しく構築し直している。それを複数チーム分、毎週ね。
兼務はこの3つを同時に起動させる。
・役割葛藤:Aチームの優先事項とBチームの優先事項が矛盾するとき
・役割曖昧性:誰も自分の業務全体を俯瞰するオーナーがいないとき
・役割過負荷:複数チーム分の責任が1人の可処分時間に収まらないとき
役割葛藤・役割曖昧性・役割過負荷——この3つが同時に来てるんだよ。おじさんが疲れてる理由がやっとわかった気がした。「やりきれない」と感じるのは、意志が弱いからじゃない。複数チームの「自分」を毎日組み立て直してるから、自己概念が構造的に摩耗しているんだよ。
「おじさんが『やりきれない』と感じるのは、意志が弱いからじゃないよ。複数チームの『自分』を毎日組み立て直してるから疲れてるんだよ。ボクにはよくわかんないけど、たぶんそれってすごくつらいよ」
— ホエール坊や、図書館で分厚い論文を読みながら —
— SCENE 04 —
360度評価って、兼務中には機能しないんだよ
360度評価って「評価者が被評価者の行動を十分に観察できている」という前提で成立してるんだよ。Bracken & Rose(2011)は、評価の有効性が「評価者の観察機会の質と量」に強く依存することを示してる。でも、複数のチームを渡り歩いていると何が起きるかというと——評価者の数は増えるけど、各評価者が見ている時間は短くなる。
「なんとなく関わってたけど、具体的な成果はよくわからない」という評価が集積して、深い協働から見えるはずの「この人の真価」が、平均的な数字に溶けて消える。評価とはシグナルだよ。シグナルの精度はノイズ対シグナル比に依存する。複数チームから集まった「薄い観察」の集合体は、低精度のノイズだらけのシグナルになるんだよ。
おじさんが「自分の真価が伝わっていない」と感じるのは、主観的な不満じゃない。制度の構造から導かれる、合理的な帰結なんだよ。
「ボク、みんなにちょっとずつ見られるより、誰か一人にしっかり見てもらいたいな。それって、わがままかな?」
— ホエール坊や、評価シートを眺めながら首を傾げる —
— SCENE 05 —
組織設計のコストが、いつの間にかあなたの頭の中に引っ越してきてるんだよ
これが、この話の一番深いところだよ。経済学に「外部不経済」って概念があってね。本来は作った人が払うべきコストを、関係ない人に押しつけることを言うんだ。工場が汚水を川に流して、下流の村人が掃除するみたいな話。兼務の構造もこれとそっくりだよ。
組織設計のコスト——誰が何に責任を持つか整理すること、チーム間の優先順位の調整仕組みを作ること——を、組織が支払わない。代わりに、その未解決の問題がそのままおじさんの認知資源に転嫁されている。複数業務を束ねる上位目的を誰も定義していない状態で複数チームを兼務すると、本来なら組織が設計として解決すべき調整コストが、おじさんの「判断力」と「調整力」によって暫定的に埋められる。
そのコストは組織の損益計算書には計上されない。でも、おじさんの頭の中では確実にコストとして処理されてるんだよ。是正のインセンティブが働かない理由もこれで説明できる。組織が兼務を割り当てることで失うものは、すぐには見えない。でも、得るものはすぐに享受できる——この非対称性が、漫然とした兼務割り当てを「組織的に合理的な選択」にしてしまってるんだよ。
「ねえおじさん。会社の問題を、あなたの頭の中で解決するのって、もう十分やったと思うよ。ボクにはよくわかんないけど、それって本来、上の人の仕事だったんじゃないかな」
— ホエール坊や、深海の底から静かに —
— NEXT ACTION —
ホエールからのお告げ:明日からの4つの一手
— Deep Dive —
あなたが疲れているのは、海がいくつもあるからだよ
組織設計の不完全性は、必ず誰かの認知資源を担保として流通する。その「誰か」がおじさんであることに、ちゃんと気づいてほしいんだよ。ボクの他の海にも、似た構造の話がたくさんあるんだよ。
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